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第二言語はどのように習得されるのか~第二言語習得論の歴史~ [第二言語習得論]

前回は英語学習に役立つ第二言語習得論とはどういった学問分野なのかを
ざっくりと確認しました。

第二言語習得論は母語以外の言語、つまり第二言語がどのように習得されるのかを
解明することを目指す学問分野です。

したがって、その歴史は「第二言語がどのように習得されるのか」という問いに
対する考え方の変遷の歴史でもあります。

各時期において第二言語はどのように習得されると考えられたのでしょうか。

また、その考えが別の考えに変わる背景には何があったのでしょうか。

今回は第二言語習得論の発展の歴史を見てゆきたいと思います。


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第二言語習得論は1970年代頃に始まる比較的新しい学問分野ですが、
「効果的な外国語の学習法を探ろう」という第二言語習得論の前身となる動きは
1940~50年代あたりに起源があります。

第二言語習得論の歴史は前身の時代までを含めると
その理論的枠組みから大きく3つの時期に分けられます。

第一に対照分析、第二に誤用分析、第三に中間言語分析の時代です。

各時期に分けてそれぞれの言語習得観を見てゆきたいと思います。


まず第一の時期、対照分析の時代においては
「第二言語の学習は新しい習慣の形成である」と考えられました。
こうした言語習得観に基づき、
例文のリピート練習や、単語を入れ替えての練習など、刺激に対して何度も反応する
トレーニングが重視されました。
上達のために野球の素振りやバスケットボールのシュート練習を繰り返すことに
発想は似ているかもしれませんね。

またこの時期は「学習者の誤りの原因は第二言語と母語の違いにある」と考えられました。
つまり、学習者の母語から判断して誤解やつまずきが生まれやすい項目を
事前に予想し、それに基づきカリキュラムを組めば第二言語は効果的に習得される
という発想です。

こうした言語習得観に基づき、二つの言語を比較してその共通点や相違点を比較する
対照分析が盛んに行われました。

しかし、こうした対照分析に基づく言語習得観では説明できない問題が生じてきます。
それが母語との違いからは説明できない学習者の誤りです。
それに加えて母語に関係なく学習者に共通して見られる誤りも問題になりました。

例えばgoやcomeなど不規則動詞の過去形をgoedやcomedなどと誤るのは
学習者に共通して見られる誤用の一例です。

こうした問題によって1960年代後半から1970年代にかけて、
学習者の誤用を丁寧に分析する方向性に第二言語習得論の研究の流れは
動いてゆくことになります。

それが第二の時期、誤用分析の時代です。
一般には誤用分析の始まりが第二言語習得論の始まりだと考えられています。

誤用分析という名称が示すように、この時期は学習者の実際の誤用を分析することから
第二言語習得を研究しようというスタンスが主流です。

学習者の誤用を分析することによって、誤用には母語との違いから生じるものだけでなく、
学習の中で必然的に生まれるタイプの誤用もあることが分かってきました。

その意味で誤用分析の言語習得観は対照分析のそれよりも、より深く第二言語習得の
実態を捉えた枠組みであると言えるでしょう。

しかし、誤用分析にもまた問題が生じます。

まず第一に学習者は自信のない表現形式を避ける傾向にあるという回避の問題です。

例えば、高校の英文法で仮定法という項目が出てきます。

主に空想の話であることを示すために用いられる形式なのですが、

「昨日パーティーに来てくれればよかったのに」と
パーティーに来れなかった友人に対して
I wish you could have come to the party yesterday.と
即座に伝えられるでしょうか。

思わずYou should come to the party yesterdayという感じで
微妙に時制が間違った英語で言ってしまいそうですね。

この場合、その学習者が仮定法をどの程度使いこなせるのか未知数のままです。

誤用分析にはさらに根本的な問題があります。

それは学習者の誤用しか見ていないという問題です。

たしかに誤用分析は学習者にとって何が難しいのか、またその原因は何なのかに
関して多くの示唆を与えてくれますが、誤用そのものは第二言語使用の全体像の
ほんの一部に過ぎません。
つまり、誤用だけに注目するアプローチでは第二言語がいかに習得されるのかという
全体像をとらえきることができないのです。

こうした認識に基づき、1970年代半ばから現代にかけて第二言語習得では
誤用だけでなく、正用も含めた第二言語使用の全体像を観察する
中間言語分析が一般的になっています。

中間言語とは、学習者が目標言語に対して自分の内面につくる独自の言語体系を
指します。

「中間」と呼ばれるのは発展途上の第二言語は
学習者の母語でも目標言語の言語体系でもないその中間に位置する
言語体系だと考えられるからです。


こうした中間言語分析に基づき、現代の第二言語習得論は
「学習者の内面で第二言語に対する中間言語が発達すればするほど、習得は近づく」と
一般的に考えられます。

僕たちは一般的に中学校から本格的に英語を勉強し始めます。
その意味でスタートラインは多少の勉強経験の差はあってもおおむね同じです。

しかし、1人1人が自分の内面につくる中間言語は全く違います。

例えばbe動詞と一般動詞do/doesの疑問文を全て習った中学1年生の例を
考えてみましょう。

よくある間違いがIs he play baseball?のように
be動詞と一般動詞がごっちゃになるパターンです。

この場合、そうした間違いをする生徒の中間言語は
be動詞の疑問文のインパクトが色濃く残り、一般動詞のdo/does主語+動詞の形が
まだしっかりと定着していない可能性がありそうです。

また別の生徒はDoes he plays baseball?のように惜しい間違いをします。

この場合、その生徒の中間言語は前者の生徒より一般動詞の疑問文については
理解が進んでおり、3人称単数現在のときには動詞にsがつくという規則も
理解できていると言えますが、疑問文のときには原形でよいという規則が
まだ少し定着していないと推測されます。

文法問題という時間を多くかけられる形式だけで試すだけでなく、
実際に上記の英文を即座に話せるか試してみると、その速度、正確さにおいて
より顕著な違いが生徒間に見られるでしょう。

厳密には1つの例文における誤用だけではデータ不十分であり、
またどの形式が使いこなせているのかという正用に関するデータも皆無であるため、
簡単に理解できていないと結論を下すことはできませんが、
英語を始めたばかりの中学1年生の段階でも各人の中間言語に大きな差が生まれることは
教師自身も心に留めておく必要があるかもしれません。


このように現在の第二言語習得論における言語習得観は
学習者の正用、誤用を含めた中間言語の在り方を分析するという
中間言語分析が一般的になっています。

第二言語習得論の目的は「第二言語が習得される仕組みを解明すること」でした。

その意味で学習者の中間言語が発達する仕組みを解明することは第二言語習得論の
目的に直接つながる方向性だと言えるでしょう。

自分で英語を勉強しているときも自分の中間言語はどういう状態なのかと
考える習慣をもてば、新しい視点で自分の学習過程を捉えられるかもしれませんね。

それでは学習者の中間言語はいかにして発達するのでしょうか。
また発達させるためには何が必要なのでしょうか。
次回は中間言語をめぐる問題について考えてみたいと思います。

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